惑おう。
四十にして惑わず? いやいや、自分は孔子でも何でもない。いよいよjust fortyとなる2018年は、大いに惑おう。
そもそも現代は、孔子の時代よりも遥かに複雑になっているはずだ。当の孔子だって、仮に同級生だったら惑う余地なんて腐るほどあるだろうし、違う悟りに達していても全く不思議ではない。無理に達観した「風」に振舞ったところで何になろうか? 変わり続ける者だけが変わらずにいられるだろうとはよく言ったもので、変わり続ける世界に対して取り残されたら、変わりたくなくても変わってしまうのだ。座して死を待ちたい人は、どうぞ勝手に。自分はまだまだ、最低でも現状維持はしたいので、迷い、惑い、試行錯誤し続けよう。
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