2020年7月23日木曜日

生死は誰のものか?

https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/314367
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/314393

バイト感覚で人を殺す医師はあまりに思慮が欠落しているけど、それと安楽死の問題は切り離して考えるべきだと思う。

日本語でも英語でも「生まれる」ことは受け身であるように、明確な意思を持って出産するのが親であることは間違いない。「生んでくれと言った覚えはない」という台詞は、あまり良いとは思わないけどその通りで、否定はできない。感覚的には、物心つく前に親から生命を譲渡されている感じかな。生まれた時点で生命は子のものになったと思えば、今回の件のように自らの意思で生命を破棄することはアリなのかもしれない。ただ、自分の場合はそこまで割り切れていなくて、親より後に死ぬことがノルマだと思って生きてきた。

では、親が亡くなった後なら後ろめたいこともなく自身の生死を選択できるかと考えると、月並みなだけどケースバイケースかなぁ。今回のALSの方のようにただ1人で、坐すことすらできずに伏して死を待つしかない状態なら、介錯が人道的なのではないかと思わないこともない。

しかし、配偶者や子がいると、生命が当人だけのものではなくなる気がする。この先、安楽死という選択肢が合法化されたとしても、死を望む身内を望み通りに送り出すことができるだろうか? 死なせるという選択をしても、死なせないという選択をしても、どちらにしても残される人に「たられば」の後悔を植え付けてしまいそう。なので、死にたい当人だけでなく、遺族も含めた包括的なケアを確立できるまで、いい加減に安楽死を解禁すべきではないと思っている。

その観点からは、孤独死ってのは死を完全に自分のものにしてから、人を傷つけずにこの世を去る方法なんだなぁ。

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