2015年3月20日金曜日

八紘一宇と言葉狩りと著作権

最近ニュースで八紘一宇なんて珍しい言葉を見かけるようになった。最後に見たのは、青空文庫で読んだ石原莞爾の最終戦争論だったろうか。

見かけなかった理由は、そもそも八紘一宇という言葉がGHQに禁止されていたからだそうな。禁が解かれてからも何となく自粛を続けているうちに、本当に忘れ去られて現代に至っていたのだろう。

で、そんな言葉を掘り起こして使うことにそのものに関しては、個人的には特に問題だと思っていない。むしろ、過去に不幸な使われ方をされただけでその言葉を禁じてしまう方が、よっぽど問題だと思う。戒めるべきは盾にされた言葉ではなかろう。まあ、今どき八紘一宇なんて死語がポロっと出て来る人は、知見の偏りを疑われても仕方ないとも思うけど。

青空文庫と言えば、切っても切り離せないのが著作権の問題。当然ながら創作者は正当に報われるべきだと思うし、だからこそ本もCDも金を払って買っているのだが、ウォルト・ディズニーに合わせてズルズル引き延ばすのは大反対。特に最近、幕が上がるを見たので、尚更そう思う。もしも宮沢賢治の著作権が切れていなかったら、高校生が銀河鉄道の夜を2次創作する話なんて生まれていなかっただろう。そして、ウォルト・ディズニーより後に亡くなった作家達は、このままでは永遠に宮沢賢治やシェイクスピアやチェーホフのように、作品を使ってもらえないわけだ。これは作家にとっても作品にとっても、そして新しい世代の創作者にとっても非常に不幸なことだと思う。

いっそ「ウォルト・ディズニーは銀河鉄道に乗って機械の体を手に入れたので、実は死んでいませんでした」ということにして、ディズニー以外の作品を巻き込んでしまう著作権延長は止めにしようぜ。

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