世間を賑わせている、東京オリンピックのロゴ問題で思うこと。
本当にパクったかどうかは分からないし、本人も墓場まで持って行くつもりだろうから、事の真偽に関しては、個人的には黒に近いグレーだと思うとだけ書いておく。
叩きすぎではないかという声もあるけど、動いている税金の大きさと、それに反比例する選考過程の不透明さを考えたら、全くそうは思わない。もっと叩いて膿を出しておいた方が先のためになるだろうし、一連のグダグダを納税者に還元するには、ネタとして昇華するのがもっとも効果的な気がする。
個人的に気になるのは、渦中の彼の仕事に対する姿勢の変遷。
美大に進んだくらいなのだから、子供の頃から絵が上手で、また絵を褒めらる機会に恵まれ、そして絵を描くのが好きだったのだろう。そしてその才を認められ、クリエイティブな仕事にありつくことができたなら、来る日も来る日も仕方なく働いているサラリーマンからしてみれば、そんな幸せなことはないだろうと思ってしまう。にも関わらず、肝心の仕事内容が精彩を欠くようになってしまったのは、長年デザインを考え続けてネタが切れてしまった。俗に言う、才能が枯れた状態に陥ってしまったから?
勝手な想像だけど、枯れたのは情熱ではなかろうか。限りある情熱を切り売りしていたら、気がつけば肝心のデザインがどうでもよくなっていた、と。仕事にしてしまったばかりに、好きだったはずのことが好きでなくなってしまった喪失感。…って、いつの間にか自分に重ねてしまったわ。
まあ、自分を含む多くの人間がただ心身をすり減らすだけの中、金と地位を引き換えに得られただけ彼は恵まれていたのだろう。だからこそ僻まれているのだろうし。ああ、金が欲しい。