あの震災から丸7年が経った。
ここ横浜で暮らしている分には、もはや目に見える形の痕跡はない。阪神や中越を体験していない自分を含めた多くの関東民にとっては、今のところ人生最大の地震なのだけれど、そんな恐怖の記憶でさえも、その後数年の日常の記憶にほとんど上書きされてしまった。それどころか、9歳くらいの子供にはそんな記憶すらないのだろう。
そうやって忘れ続けた7年だったけど、去年はに限っては少し違った。そう、女川に行ったのだ。
津波の被害を自分の目で見たのは、あれが初めて。いかにも最近まとめて作り直した感のある綺麗な女川駅周辺と、道1本隔てた先にあるひっくり返された旧女川交番のギャップが強烈だった。
この復興が難しいのは、元々少子化による人口減が何十年も前からの既定路線であったからだろう。震災は10年20年先に緩やかに始めるはずだった撤退戦を、突然大幅に前倒しさせてしまった。住んでいた人達が元通りにしたいと思うのは当然だけど、現実的に算盤を弾くこともまた必要なわけで。作り直すものと諦めるもの、続けることとやめること、厳しい取捨選択を迫れられる局面が続くことは想像に難くない。あの場所こそが、そんな興亡の最前線だったのかもしれない。
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