2014年6月25日水曜日

レガシーをobsoletedに変えて

ことの成り行きを不安:期待=9:1で見守っていると書きながら、何に不安を抱いているのか書いていなかった。危惧しているのは、声のでかいクソジジイがどさくさに紛れて、レガシーな家庭観・結婚観を強要してきやしないか、ということ。

ほんの20年前くらいは、30を越える頃には結婚していて、女房子供住宅ローンを背負ってようやく一人前みたいな空気があった。経済・社会は誰もがその道を歩むことを前提に設計されていて、その道を外れないようにする役目は明文化されたルールではなく、暗黙の同調圧力が担っていた。

そんな気持ち悪い同調圧力が、不景気が切っ掛けとは言え急速に衰えてくれたおかげで、非常に過ごしやすい現在がある。が、下手に寝た子を起こすような議論の切っ掛けを与えたら、今度は明文化されたルールで縛ろうとしてきやしないか。そんな心配をしているのだ。

ふと、坂口安吾の戦争論を思い出した。彼は敗戦を切っ掛けに、レガシーな家制度を置き換える新たな合理的な秩序が形成されることを望んでいたけれど、残念ながら60年経った今でも古い亡霊に怯える始末である。

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