2023年8月26日土曜日

坊主頭について

世間では高校球児の坊主頭の是非が議論されているようだけど、現役の坊主頭のオッサンとしては、有用性は認めつつも強制しては効果激減だと思う。

自分が坊主頭にしたのは、今から十数年前のこと。別に誰かに強制されたわけでもなく、毛量が心許なくなったわけでもなし。よくよく考えたら興味も拘りもなかった髪にかけるコストをカットしようと思っただけのこと。まあ、失敗だったとしてもまた伸びるし。…くらいのつもりで試しにやってみてから、そのまま今日に至る。

さて、そんなわけで思想信条信仰上の理由も何もなく坊主頭にしたわけだけど、実際に髪を捨ててみて分かったのは坊主頭の素晴らしい機能性と、常識というものの拘束力。望めばいつでも手に入るはずだった果実に、それまで常識に縛られて手を伸ばそうともしなかったこと。意を決して手を伸ばしてみたら、実に簡単に美味しい果実が手に入ってしまったことから、常識に縛られないことの重要さを身を以って学んだのだ。

常識というものが常に間違っているとは言わないけど、ここぞという場面で常識に縛られない判断を下せることは、無意識のうちに縛られている多くの人々に対する大きなアドバンテージになりうる。

だからこそ、高校球児は坊主頭であるべきという常識に縛られて坊主頭にしただけだと、単にすぐ乾くとか寝癖が付かないといった機能性しか得られないだろう。

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