2021年8月15日日曜日

人権

世の中、人権絡みで炎上騒ぎが起こっているようだけど、日本で生まれ育った一日本人としては、これに関してはあまり教育がよろしくないと思う。

今の日本で「人権」という言葉の印象は、正直ポジティブではないだろう。何だかよく分からんけど、否定してはいけないもの。否定できないのをいいことに、厄介な連中が錦の御旗として掲げているもの。ぶっちゃけ、一般市民にとっては触らぬ神に祟りなし。未だに馴染みがないのは、西洋から(半ば強制的に)輸入させられた概念だからであり、だからこそ国として真面目に浸透させる気がないというのは言い過ぎだろうか? まあ真意はさておき、結果として浸透していないのはやはり、真面目に教えていないからだろう。

では、偉そうなことを書いているお前は人権について分かっているのかと問われたら、真面目に歴史を勉強してこなかった典型的な日本の理系のオッサンなので、口が裂けても詳しいだなんて言えない。なので、あくまで個人の人権観を書こう。

人権とは、偉大な妥協点だと思っている。

そもそも論で言えば、人も星も深い意味があって存在するモノではないと思っている。たまたま在る、ただそれだけ。本質的には、全ての人には神性不可侵な権利などないだろう。

ただ、多くの血を流した果てに、偉大な先人たちは気付いたのだろう。全ての人は平等に人権というものを持っていることにすると、人と人との衝突を解決しやすい。そしてその権利の内容は、思想信条信仰が異なっても受け入れてもらえる、最大公約数的な落とし所である、と。考えてみれば、確かにその通りだろう。最低限の善悪の物差しを共有していないと、話し合いもままならない(実際、中共には話が通じず困ってるし…)。

なので、人権とは決してアンタッチャブルなものではない。むしろ、時代に合わせてより最適な形に変わっていくべきだと思う。ただし長い時間、多くの試行を重ねた上に今があることも忘れてはなるまい。大抵の下手な思いつきよりベターだったから、今の形があるのだ、と。

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