成人の定義を18歳以上に変更しようとしているらしいけど、果たしてそれは適切なのだろうか?
自分自身について振り返ってみよう。アラフォーの大人となった今の自分から見たら、18歳の頃の自分は贔屓目にも大人ではなかった。身長体重は今とほとんど変わらないレベルまで成長していたし、機械をいじって、深夜放送を聞いて、ゲームして遊んでいるのも今とほとんど変わらないにも関わらず、あの頃の自分が大人でなかったのは、目的意識だったと思う。
そう。現実問題として、余程の資産家階級にでも生まれない限り、ただ好きなことだけをして暮らせやしない。その現実を自分の肌で感じた上で大人は、それでも手にしたい「目的」を定め、そのために限りあるリソースを最大限有効活用すべく世を渡る。大人となった自分は、子供の頃のように有り余る暇をただ漫然と遊んで潰しているのではない。遊ぶことを「目的」として、そのための手段として働いたり何だりしているのだ。
もちろん「目的」は十人十色で、だからこそ、そんな大人達が回している同床異夢の世界は歪で不安定だったりするのだけれど、それはそれ。まあ、そんな世界があまりに多くの大人達の「目的」を妨げるようなら、変えようとする力が働くのだろう。
ちと話が逸れたけど、18歳が成人がどうかに関しては、現状では肯定できない。それは単純に、多くの18歳が世に出て働いていないからだ。いい加減な大学が淘汰されて進学率が3割くらいになったら、成人年齢を下げてもいいかなとは思う。
どうでもいいけど、成人の日が第2月曜日になったことで、15日が成人の日になる可能性が完全になくなっていたことに、今更ながら気付いた。
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