3連休の終わりに、日本死ね問題について思うこと。いや、わざわざ死ねと言うまでもなく、現実的には順当に死ぬでしょ。
本当のところは何をもって「日本」とするのか、そもそもの定義の問題を片付けなければならないと思うけど、ここでは現在の日本の社会システムのことを「日本」と呼ぶことにしよう。
そんな「日本」は、日本人の自分が贔屓目に見ても、残念ながらunsustainableだろう。もはや空虚な幻想で現実から目をそらさないと、継続可能だとは言い張れない。それでもなお一縷の希望を信じて子を作った人達からしてみれば、建前上どうにかしようと言いながらも行動が伴わない連中に対して、業を煮やす気も分からなくはない。そして彼らこそが、「日本」をどうにか続けようと思ったら最も裏切ってはならなかった人達だったのではないかとも思う。
もっとも、個人的には「日本」に無理な延命措置を施す方が良くないと思ってるんだけどね。それは新しい『日本』の誕生を阻害することになりかねないから。まあ、特に力を持っていない小市民としては、ただ成り行きを見守るよ。
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