十五少女漂流記を観劇してきた。これで全公演終了したので、遠慮なくネタバレする。
この作品の見どころというか否が応でも目に付いてしまうところは、ブリトニーに対するドルチェの過剰なライバル視だろう。生きて帰るという何よりも大きな目的を共有しているはずなのに、4人のドルチェ軍団が他の11人から離れて行く感じ。そんなギスギスは、ドルチェの「選挙で島の統治者を決めよう」という提案で臨界を迎える。あの嫌な空気を作れる19世紀のイギリス人の高慢さヤベェ。
当然自らが統治者になる気だったドルチェに対して、投票結果は大差でブリトニーの勝利。まあ、ドルチェの勘違いが甚だしかっただけで結果自体は順当なんだけど、そこでピークを迎えたギスギスを抱えたまま、冬を越すまで洞窟での共同生活を続けざるをえなかったところとか、ドラマとしては地味でも地獄だろうよ。劇中では冬籠りのシーンに時間をかけていなかったけど、ああなってしまったらもう、越冬後のドルチェ軍団の暴走は不可避だったろう。
フィクションとは言え、実際にこんな状況に追い込まれたら、人間こうなってしまいそうだよなと思ってしまった。人間はそんなに合理的にできていないというわけではなく、求める利益が人それぞれだから不合理に見えるだけなのだろう。無人島生活が長期化し、なんだかんだで長期間生き延びた実績ができたことで、目先の生存に関しては過信してしまった。その一方で、帰ることに関しては全く目処が立たず、共有していたはずの目的が共有できなくなってきた。冬籠りの間、上級生が下級生に勉強を教えようという提案は、帰った後のことを想定したアクションを起こすことで、何とか当初の目的を忘れないよう足掻いていたのだろう。
まあ、最終的にはシージャック集団が漂着することで、下がりすぎた生存のハードルと上がりすぎた帰宅のハードルが程よい高さになり、生きて帰るために再び団結できたわけだが。やっぱり、目的を共有できないとチームをまとめるのは難しいよなぁ。…と、プレイングマネージャーみたいなことを強いられているオッサンは思う。
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