https://www.sankei.com/affairs/news/180706/afr1807060004-n1.html
ようやく終わったというより、まだやってたのか、という感じ。
授業中、こっそり携帯ラジオでサティアン突入のニュース中継を聞いていたのは、もう23年も前のことになるのか。これが失われた20年のはじまりではないけれど、振り返って見れば、時代の空気を暗くした決定打だったように思える。
死刑という制度に関しては、基本的には冤罪のリスクを最大限に考慮すべきだと思うけど、今回に関しては十分過ぎるほど時間をかけて限りなくリスクをゼロにしたとは思う。万能ではないけれど、一定の抑止力があることも確かだから、慎重に運用されている限り制度自体を真っ向否定はしない。
ただ、やはり気になるのは、なぜ急にオウムの死刑囚をまとめて始末したのか? もちろん、刑が確定している以上、いつ括っても法的には差し障りない状態だったわけだけど、流石に今回ばかりは作為を感じざるを得ない。誰かへの見せしめ? ただの人気取り? 表に出てこない誰かの作為で強い力が振るわれているのは、率直に言って不気味だ。
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