2012年9月1日土曜日

出生前診断と倫理

最近ちょっと話題になっているダウン症に対する確度の高い出生前診断について、頭の中で整理が付いてないのに、見切り発車で書き始めてみる。

まず単純に、分からなかったことが分かる。分かりづらかったことが分かりやすくなることに関しては、悪い話ではないと思う。診断を受ける自由や受けない自由を侵しているわけでもないし。

結局のところ、引っ掛かるのはやはり中絶の問題か。先に断っておくと、宗教的に思考停止しているケースは考える余地がないのでスルー。

もし診断結果によって間引くとすると、まず気になるのは診断結果の精度。たとえ1%でも誤検出の可能性があるなら、本当は問題が無かった子を絶ってしまったかもしれないという嫌な思いを、一生引きずりかねない。しかしまあ、この点に関しては技術の進歩が解決してくれることに期待しよう。単純に誤診の可能性が下がれば、それだけ気が楽になるだろう。中絶後に診断結果を検証するのも有効かもしれない。いくら白に近くても、グレーのままだからタラレバ論に隙を与えるのだろう。ならば後追いでも技術的に白黒はっきりさせられれば、多くの苦悩を未然に防げるのではなかろうか。

胎児を放棄することに対する倫理的な問題はどうか。あくまで個人的な考えだが、倫理とは法律のような堅いルールでは対応し難いところを補う柔らかいルールであり、それは生きている人間同士が色々と度を超さないよう、「互いの幸せのため」に付ける手枷足枷であると思っている。なので、そもそも不幸の期待値を高める縛りは倫理ではなく、単なる因習ではないか。

こう思うのは、自分の腹に胎児を宿したことが無い男だからか? ただ、生まれないことこそが最大の不幸だとする考えには、やっぱりどうにも賛同できない。

う〜ん、見切り発車は失敗だったか。でももう遅いから、投げっぱなしで寝る。ジャーマン。

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